2005年11月18日

惜しかった柳本ジャパン

さすがにブラジルは強かった。

日本も良くがんばりました。

しかし、柳本監督のヒヨコのような髪型が

少し気になります。
posted by ロノ at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月17日

帰ってきたパワフル加奈

女子バレーに大山加奈が帰ってきた。

少し体が締まったようにも見れるが

なんにしても彼女がスパイクを決めた後で

コートを縦横無尽に走り回る姿がはじけていてとてもいい。

連続してスパイクが決まろうものなら

走り回リ過ぎてそのまま会場の外に

出て行ってしまうのではないかと期待するほどである。

滝田栄に似ている切れ長の眼。

柳本監督に泣くまで怒鳴られてもへこたれない心。

長嶋茂雄的なスター性も感じさせてくれる。

後は、プリンセスメグが帰ってくれば見ごたえ十分だが

複雑な事情もあった様だけど1日も早くコートに

帰ってきてほしいと願う。




posted by ロノ at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月16日

ろうか

妹には変わった癖があって面白いテレビを見ている途中で

なぜか廊下を走り始めます。

1往復走って安心してまたテレビを見ます。

そしてしばらくするとまたバタバタと走って帰ってきます。

それを何度も繰り返すのです。

母が最初にそれに気づいてみんな笑ったのですが

しまいには「落ち着きなさい」怒られていました。

もちろん幼い頃なのでなぜ走るのかとは聞きませんでしたが

面白いテレビを見て興奮して気持ちを沈めるために

走っていたのでしょう。

最近気づいたのですが私もK−1とかプライドボクシング

見ているときコマーシャルになるとその時間だけ

テーブルの上を片付けたり食器を洗ってます。

理屈じゃないのです。体が勝手に反応してしまうのです。

こまったものです。もうやだ〜(悲しい顔)






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2005年11月15日

空から瓦が降ってきた

死にかけた話V

田舎の庭を走っていたら、突然空から瓦が降ってきた。

瓦の角が私のつむじに測った様に突き刺さった。

祖母が慌てて飛んできて洗面器に水を入れ

傷口を洗おうとするが

その水がみるみる真っ赤に染まり何度取り替えても

止まらない。

その赤い色を見て更に痛みが増した。

結局医者が家まできてくれて麻酔なしで縫ったのだが

縫っているのも分からないほどの痛さだった。

田舎では瓦を換えるとき大工さんが屋根に登って

古い瓦を上から投げ落として新しいものと交換していた。

それが見事に的中したわけだが

それだけでも確率は低いのにきちっと{つむじ}に当たるなんて

ホールインワンである。

頭の傷はほとんどが髪で隠れるがつむじの傷は隠し様がない。

今だったら部分かつらという方法もとれるが当時はないので

どうしようもない。一度マジックで黒く塗ってみたが笑われたので

そのまま放置して現在にいたる。







posted by ロノ at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

空から瓦が降ってきた

死にかけた話V

田舎の庭を走っていたら、突然空から瓦が降ってきた。

瓦の角が私のつむじに測った様に突き刺さった。

祖母が慌てて飛んできて洗面器に水を入れ

傷口を洗おうとするが

その水がみるみる真っ赤に染まり何度取り替えても

止まらない。

その赤い色を見て更に痛みが増した。

結局医者が家まできてくれて麻酔なしで縫ったのだが

縫っているのも分からないほどの痛さだった。

田舎では瓦を換えるとき大工さんが屋根に登って

古い瓦を上から投げ落として新しいものと交換していた。

それが見事に的中したわけだが

それだけでも確率は低いのにきちっと{つむじ}に当たるなんて

ホールインワンである。

頭の傷はほとんどが髪で隠れるがつむじの傷は隠し様がない。

今だったら部分かつらという方法もとれるが当時はないので

どうしようもない。一度マジックで黒く塗ってみたが笑われたので

そのまま放置して現在にいたる。







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2005年11月13日

さようなら本田美奈子

HIROVINSONさんコメントありがとうございました。
遅れてすいません。
あれから1週間が過ぎましたが
いまだに彼女の放映は続いています。
ファンだけでなく芸能界の中でもたくさんの人達に
好かれていたんだなという事が良く分かります。
 8日に『シェルブールの雨傘』を久しぶりに見ました。
ミュージカルでカトリ−ヌ・ドヌーブ役を演ずる
彼女の姿を見てみたかったな。
ご冥福をお祈りします。



posted by ロノ at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月07日

神様に呼ばれた本田美奈子

突然の訃報に驚いた。

あまりにも早すぎた死。

最近の医学の発達のスピードから

大丈夫だろうと思っていた。

芸能界でも渡辺謙吉井怜のように

完治して活躍してがんばっている例もたくさんあるので

彼女もきっと戻ってくるだろうと信じていた。

3日に様態が急変したらしい。

好きな歌手の一人だった。

デビュー当時から歌唱力も抜群で特に高音の伸びがすばらしく

才能に溢れていた歌手だった。

ただ、{1986年のマリリン}の頃くらいから急激に痩せてきたので

どうしたんだろうと心配していたが、その後も順調に活躍していたので

何ともなかったのかなくらいにしか思わなかったが

今振り返ればその頃からずっと疲れが積み重なってきてたのかもしれない。

11月6日享年38歳。

越路吹雪が逝ったのが25年前の11月7日。

同じスター舞台歌手が年代は違えど一日違いで天に召される。

きっと毎年今日11月7日は、神様主催のミュージカルが行われていて

今年は本田美奈子が選ばれて、今あの溌剌とした笑顔で天使たちの前で

歌い踊っているのだろう。

そう信じたい。







posted by ロノ at 17:20| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月06日

アポタコ

死にかけた話U

当時(幼稚園の頃)そこらあたりに田んぼやキャベツ畑があって

稲刈りが終わった頃になると絶好の遊び場になった。

その日も近所の友達ヒデヒロ君と田んぼに入って遊んでいたが

もっと遠くの田んぼに行ってみようとそれまでいつも遊んでいた場所から

少し離れた場所に移動した。

しばらくそこで遊んでいると、目の前に4畳半くらいの大きさで

正方形のコンクリートのくぼみを見つけた。

何なのだろうとしばらく見ていたが、わからない。

面白そうな遊び場を発見したと思い、ひでひろ君に

「一二の三で飛び降りよう」と提案した。

ひでひろ君は、まだそのくぼみをじっと見つめている。

少し変に思ったがそのまま気にせず

いち・にの・さん!で飛び降りた。

瞬間、何が起こったのか分からなかった。

着地したはずのコンクリートの底を私の足は突き抜けていた。

どろどろした液体の中に鼻の上までうずまり

息ができなくパニックに陥った。

かすかに見えたのは、上から私を見下ろしているひでひろ君だった。

助けて、と目で訴えたが彼はそのまま猛スピードで走り去ってしまった。

抜き差しならぬ状況に陥ってしまった。

息ができない。何回もジャンプして鼻がその液体から出た時

一瞬息を吸うだけで、それさえも次第に出来なくなってきた。

 ここでタイトルに戻りますが、アポタコとは何か知っていますか?

(アポ)とは博多弁でいう大便の事。大阪では(ババ)と呼ばれています。

それを入れるものが(タコ)。・・・もう、お分かりでしょう。

アポタコとは肥溜めの事なのです。

その中に殺菌作用や消臭作用のある薬品を入れると表面が灰色になり

それがコンクリートに見えたわけです。

飛び込む直前までそれを友達がじっと見ていたのは

おそらくその事に気付いていたからなのでしょう。

それが証拠に彼は飛び込みませんでした。

 話は戻って、切羽詰った状況になり諦めかけたその時

足に何かがぶつかった。そこに足をかけると一段だけ上にあがる事が出来た。

それを足場にして残る力を振り絞ってやっとアポタコの中から這い上がる事に成功した。

私は勝ったのだぴかぴか(新しい)自らの力で明日を、未来を勝ちとったのだ。ぴかぴか(新しい)

当時映画ロッキー}が上映されていれば、きっと空よりも高く両手を掲げた事だろう。

ウンコまみれで・・・もうやだ〜(悲しい顔)

ほっとしたら急に恐怖がこみ上げてきて泣きまくった。

私の泣き声が聞こえたのか、近くにあった工場のおばさんが私を見つけてくれて

従業員専用のお風呂に連れて行ってくれてお湯を何杯もかけてくれた。

温かかった。本当に温かかった。よく心が温かくなると言われるが本当である。

そこに、ひでひろ君が私の母を連れて戻ってきた。

『逃げたんじゃなかったんだ。母を呼びに走ってくれたんだ。』

走れメロスではないが、一瞬でも疑った自分が恥ずかしい。

でもあの段差がなかったら間違いなく死んでいた。

母はその時私が着ていた服がもったいないからと捨てずに

たんすの私用の引き出しにずっととっておいた。

半年一年経っても匂いは消える事がなかった。

『やっぱり匂いは取れんね−』と呟いていたが

私はその匂いをかぐたびにいや〜な思いがしたものだった。

とにもかくにも、肥溜めの中で死ななくて良かった。・・本当に、良かった・・・。





















posted by ロノ at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月05日

大やけど

小学校に上がるまでの間、何度か死にかけた事があります。

その中のいくつかを書いておこうと思います。

3歳の冬。当時私のうちでは立ち飲み屋を営んでおりまして

お客さんに出すおでんを台所の大きな鍋で煮込んでいまして

その鍋に足を引っ掛けて熱湯を頭からかぶってしまったのです。

祖母が後ろ向きで茶碗か何かを洗っていたので、『助けて』と

叫ぼうとしたのですが、声が出ませんでした。

2.3度声をあげようとしたのですがどうしてもでませんでした。

そして・・すごく気持ちがよくなったのです。

気持ちがよくなってそれから先は憶えてません。

3分の1以上の重度のやけどで5日程意識不明で病院の先生から

両親に対して「家につれて帰って最後を看取ってやってください」と

言われたそうですが、その日に目を覚ましたそうです。

その間は全く記憶はありません。

記憶が再開されたのは病院のベッドの上。

私の顔の右目の上に透明な丸い吸盤みたいなものが吊り下げられていて

それをずっと見ているように言われたこと。

その吸盤がいやでいやでどうしてもはずしてくれと泣いていたことを

憶えています。

全身がイタイイタイと泣きじゃくっていたそうですが

その記憶は全くありません。

いろんな人に輸血をしてもらって一命を取りとめました。

感謝します。

幸いな事にケロイドは右手の裏側と体の一部だけと

顔に残らなかった事がよかったと思っていますが

それでもやはり夏は半そでを着なくてはならないので憂鬱でした。

当時の癖で今でも寝るときは枕の下に右手を入れて隠すような姿勢で

眠りにつくのが少し悲しい思いがします。









posted by ロノ at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月04日

かけっこ

幼稚園の隣が広い公園で運動会はそこで行われていた。

父兄もおもいおもいのところにシートを敷いておにぎりをほうばりながら

子供たちに歓声を送る。

かけっこには自信があったし負けたくもなかった。

自分の組にライバルのk君がいた。

彼に勝てば一番は間違いない。

『よーい・・ドン!』

走った、走った、全力で走った。

幸い私の前には一人もいない。一番だ。

もうすぐゴールだ。がんばれ俺よ!

ところが最後にきて自分の中にすんでいる

悲劇の虫が騒ぎ始めた。

・・いま後ろとどれくらいの差があるのだろう

ぴったり後ろにkがついてきているのか

それとも差が開いているのか?

どうしても確かめたくなった。

ところが走りながら後ろを振り向くという事が

できなかった。

しかしどーしても確かめたい。

あと5メートル。

立ち止まって後ろを確かめた。

・・・2着になった。もうやだ〜(悲しい顔)

後で両親から「せっかく1番だったのにゴールを間違えてから・・」

とあきれられたが『後ろを見るために一旦立ち止まった』とは

いえなかった。今でも親はゴールを間違えたと思い込んでいる。ドコモ提供
posted by ロノ at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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